小川栄一氏が発見した。大正十年(1621)十二月の調査研究による。

土壌を約15cm掘ると貝殻層があり厚さは50cmほど、その下に6-9cmの土壌があり、その下に土礫層がある。貝殻層は周辺で次第に薄くなるが、15cm程の土壌に被覆されていることは一様である。

貝殻は主としてシホフキ貝で、少量の牡蠣・蛤類も混ざる。大正十年十二月廿七日に完全な貝輪一個と獣骨片を発見した。地表の貝殻散布域には褐色で粗雑な土器片が多く混在する。

養老鉄道がこの地を通過し敷地を切り下げたため縦断面が現れ、上層土壌と下層亞土壌(礫を含む)とを明らかに別なことが分かった。その上層の下部には多くのアイヌ式土器が混在し、一帯は石器時代の遺物包有層ともいえる。

嘉永四年頃(1851)、西方の畑から村人・吉助が石棒を発掘した。粗製石棒で長さ約52cm、断面楕円形、径約9cm-約4.5cmあり一方に頭がある。約36cmの黒土層の下底近くから磨製石器の断片が発見され、また貝殻散布地表からは石鏃十数個を拾得された。附近より更に石棒二個も発見されている。小川栄一氏は大正十年冬の踏査に圓石一個を得、また近傍より人骨一体を発見した。

『濃飛兩国通史』(岐阜縣教育會、大正十二年-1923)19、20頁

海津市南濃町羽沢353番地1