永禄6年(1563)5月12日の御油口(現豊川市)での今川重臣の三浦正俊・小笠原清有との一戦があった。松平元康は松平(長沢)浄賢・康忠父子に加えて松平(深溝)伊忠を長沢城に在城させた。長沢城は松平元康からみて東三河攻略の最前線であった。桶狭間の戦い後勢力を後退させてきた今川氏であったが、永禄5年2月の富永城(現新城市)、7月26日の中山城(現豊橋市嵩山)、9月22日の大塚城(現蒲郡市)を落とし勢力を挽回させてきた。
永禄7年(1564)5月14日、松平改め徳川家康は再び今川方から寝返った岩瀬家久に長沢城の在番を命じた。家久は松平(長沢)浄賢の親類である。