里小牧村にあり、横超山本誓院養願寺という。一向宗東派、京都本山直末の餘間一家である。当寺は大永四年(1524、申)の創建で、関山は福受という。蓮如上人が伊勢長島に在住していた際の弟子となり、同国桑名御崎に一寺を建てて住んでいたが、後に当所に移った。
慶長五年(1600)関ヶ原役の前の岐阜城責めのとき、木曽川が洪水で、池田輝政が越えられなかったのを、当寺の僧と当村の高橋某・廣瀬某の二人が指揮して船を出し、難なく川を渡らせたが、これは「笠松渡の權輿なり」といった。このことから池田輝政は刀一腰を贈り、境内除地(免税)を許す。また教如上人の関東下向の帰路、ここに来られたが、木曽川の水が増水していたので、暫くこの寺に滞留した。時の住持が同船して安々と川を越し、帰洛されたといい伝えられている。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻五』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)