断夫山古墳は全長150mで、5世紀末から6世紀にかけては、尾張地域のみでなく、伊勢湾地方のほかの前方後円墳をはるかに凌駕し、畿内の大王陵に匹敵する巨大古墳である。

同時期の巨大古墳は、継体大王の墓と推定される全長190mの大阪府高槻市今城塚古墳と、全長135mの福岡県岩戸山古墳である。岩戸山古墳は「日本書紀」に詳しく述べられている磐井の乱をおこした磐井の墓と伝えられる。磐井は、「古事記」では筑紫君磐井とよばれている。山尾幸久氏は、磐井は筑後を本拠にし、筑前、豊前、肥前、肥後にわたって、交通路にそって点々と勢力を伸ばし、ヤマト王権に対抗して「外交権・交戦権を含む独立の王権を確立しよう」として継体大王と戦った大首長であると考えている(「日本古代の国家形成」)。

6世紀前葉において古墳の規模で西の巨大古墳の岩戸山古墳をしのぐ東の巨大古墳は断夫山古墳である。断夫山古墳の被葬者は、西の筑紫君磐井と比較しうるような広大な地域に勢力を有した首長が想定され、単に尾張のみを基盤とするのでなく、広く美濃および伊勢湾地方にかけて超越的な勢力を有した尾張地域の大首長と考えることができる。

引用:
北区史

名古屋市熱田区旗屋丁目番
種別