押切町の北側にあり、俗に「拔の権現」と称す。別当は榎本山福満寺と称して、紀伊國高野山の金剛三昧院の末寺。文禄年中(1592-1596)の建立。

『縁起略』によれば、当社は文明九年(1477)、当國(尾張)の太守・斯波治部大輔義廉が清須に在城の時、加賀の白山権現を信仰していたが、ある夜、夢の中に老尼が現れ、「我は白山の霊である。当國篤鷲喜里の沼のほとりに勧請し、武門を守護せよ」と見てから夢が覚めた。それよりこの社を勧請し、左右に神明・秋葉を祀った。

また社内に榎木が一株あり、白山の神木であるため、榎権現の称が起こる。幕末頃には榎が枯れたが、その通称はしばらく残ったという。当社鰐口に正長二年(1429)九月九日の文字が見える。

西國の諸侯方から琉球人まで、みな当社で休息する。書院から西北の眺望が、打ち開きて風景がすこぶる良い。

参考
『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)

名古屋市西区押切2丁目5番2号
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