秋月院

今川氏豊の娘夫妻が眠る

弓頭山秋月院。曹洞宗、下野國(栃木県)富田の大中寺の末寺。もとは、田島小路二十五丁橋の東にあったが、昭和十三年(1938)現在の地に移転された。

名古屋の城主(那古野城)・今川左馬助氏豊の娘は、中野又兵衞尉重吉の妻(室)で、法名を秋月院桂秀大姉と号した。重吉は織田信秀の幕下で、三州(三河)小豆坂の七本鎗(やり)の一人「中野槌(つち)」といわれて以来、武勇の誉れ高く、信長公および豐臣秀次公にも仕えた。しかし秀次公が高野山で生害の後、こゝに引きこもり、夫婦とも主君の菩提を弔い潜居していた。慶長三年(1598)十二月二十九日に重吉が死去すると、その妻・秋月院は夫の遺言に従い、同四年(1599)その屋敷の地にこの寺を建立し、下野國富田の大中寺の住僧・建室和尚が氏豊の舍兄(兄弟)で、秋月院の伯父であるので、招請して開山とした。同六年(1601)七月六日、かの妻も死去された。

  • 本尊 薬師如来。弘法大師の作。また千手観音の像を安置する。

参考
『尾張名所圖會 前編 巻三』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)