大野郡。平城である。
稲葉伊予守一鐵が天正十年(1582)頃、秀吉の不審を蒙り、曽根から移り、城を築いて居城した。天正十六年(1588)十一月十九日、当城にて没す。
のち、稲葉通重が、大野郡清水で稲葉甲斐守通重が一万五千石を食んだという。一鐵の子・稲葉貞通の姪。
ある書によれば、古くは林左衞門尉通兼が居住した云云とあるが、通兼の事は土民も知らず、林氏は十七條(現瑞穂市)に居住したというのが実説であるという。
参考
『美濃明細記』(伊東実臣、元文三年-1738)
『濃飛兩国通史 下巻』(岐阜縣教育會、大正十二年-1923)