鹿田村にある。『本國帳』に従三位志賀田天神とある旧社である。今は三熊野新宮と称し、速玉男命を祭り、相殿に十二祖神を併祀するという。この社はもとはこゝから三町ばかり隔てた所にあったが、寛永年中(1624-1644)に今の地に移す。その跡の地を今も十二祖と呼ぶ。社説に、当所の領主の魚住隼人正大口右京進がこの社を修造したという。 大口は中島郡の地名で、『神名式』又『本國帳』等に大口の神を載せ、妙興寺・曼陀羅寺等の古證文にも、大口の名が見える古い里であるが、今は失われその場所は不明である。右京進もその地名を苗字に名乗る人だろう。当所に城跡が二箇所あり、一は大口右京進、一は魚住隼人正という。『人物志』に武衞家麾下の士と見える。その頃三河に鳥居、尾張に魚住と、魚鳥一対にした勇士だった。
例祭 八月二十七日。
末社 天王社・稻荷社・天滿宮社・白山社・鹽竈社等あり。
祠官 廣瀨氏。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)