平安末期の『美濃国神明帳』で従五位上の帳内社。もとは白鬚明神社といった。天延年中(973-975)に源信(恵心僧都)がこの室村に来た頃は人家が少なかったので星晨寺を建立し、その鎮守として江州湖水鎮座白鬚明神を勧請したという。

源信は良源に従学した。良源は行基以来初めて生存中に大僧正となった天台宗中興の祖であり一八世座主である。

源信は横川に屏居して弥陀来迎の図や阿弥陀像を多数作り、諸寺に安置されて庶民の尊信を受けた。さらに源信が『往生要集』を著したことは、鎌倉時代の浄土教成立の先駆的基礎であり、平安時代の浄土信仰・浄土教美術に大きな影響を与えたとされる。

もとは宮村神宮寺にあったが、大正二年に現社地にあった蛭子神社と合併し、同境内の稲荷神社も合併して鵄栖神社となった。

参考:『新修大垣町史 通史編 一』(大垣市、昭和四十三年)87、90頁

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