大正十五年(1926)に谷汲鉄道の駅として開業し、昭和十九年(1994)に名古屋鉄道との合併により名鉄谷汲線の駅となり、平成十三年(2001)に廃線に伴い廃止された。

大正から昭和の始め頃は、女の子は小学校の六年を卒業すると、殆どの者が木曽川や一ノ宮・笠松方面の織屋へ住み込みで金儲けに行くのが常であった。その娘達にとって半年間辛い仕事や勤めに故郷恋しさに泣いて堪え、半年かかって儲けたお金をふところに、土産を買って家へ帰るのが何よりの楽しみであった。それが正月はほとんどの年が雪の中で交通も杜絶して、赤石から北は車が通らなかった。それでも娘達は歩くのを承知で親の待つ故郷へ帰ってきた。家の者は弁当を持って赤石まで迎えに出た。娘が電車から降りるのを待って、赤石の茶店で弁当を食べたりモンペ姿に着替えたりして、長い雪道をすべったり転んだりして一日がかりで家へ帰ったのである。毎年のように大晦日前二・三日は、根尾へ帰って来る娘とそれを迎えに行った人の列が続いた。正月が過ぎても車は通らないので、又赤石まで送っていったのである。現在は雪も少なくなったし、交通機関も発達して、そんなことも昔の語り草になってしまった。

参考:『根尾村史』(根尾村、昭和五十五年)266頁

揖斐郡揖斐川町