寶周寺の南にある。本願寺宗東派、三河針崎勝鬘寺の末寺。山号は田中山。当寺は長治二年(1105、乙酉)鎌倉権五郎景政の二男の三河守教盛、近江の醒井で剃髪した時に建立された。

嘉承元年(1106、丙戌)当國春日井郡小田井村へ移転する。その後故あって破壊したが、明應七年(1498、戊午)蓮如上人の弟子覺元が中興し、寛永三年(1626、寅)名古屋村のなかの田中へ易地する。その頃、芭蕉が当國に遊歴のついでに、当寺に逗留したが、その時の発句を石に刻んで、今も境内に建てられている。

  • 本尊:阿彌陀如来。行基の作。

参考
『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)

名古屋市西区新道1丁目19番
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