天和元年(1681)に大垣郡奉行所大控に記されている。
橋梁の無かった根尾谷では、対岸へ行き来するには渡船が唯一であった。明治期に入っても二艘の舟が根尾川を横越していた。年に二度のお彼岸や谷汲山の御開帳の時などは、外山筋は唯一の交通機関としてこの渡船を利用していた。
参考:『谷汲村史』(岐阜県揖斐郡谷汲村、昭和五二年)223頁