大山村にある。峻嶮な山の頂きに鎭座する。山内の不動ケ瀧は、大山川の水源で、絶景の勝地である。

むかし源海上人が創建し、五十坊あったが、源法上人住持の時、叡山の僧徒と不和になり、兵を起こしてこの寺に攻め寄せられ、堂塔伽藍を焼く。源法上人は焼かれて没し、二人の兒(子)があって抵抗したものの苦戦し、終に死んだ。一人は三州牛田氏の子、一人は江州佐々木氏の子である。その後、高倉帝(在位:1161-1181)が御悩(病に罹る)になり、卜者(占い師)は一僧二兒の祟りである奏したため、その霊を祀らせて、兒権現と称す。毎年三月十五日に供祭があり、焼かれ死んだ日であるからと縁起にいう。

社前に石の七重の塔があり甚だ古色である。また石の手水鉢に、永享十三年(1441)二月大西之士某寄進と見える。また山の東に不動堂があり。修験明王院が掌る。

大山廃寺跡

国の史跡に指定されている。一七個の礎石が残されている。また、白鳳時代と推定される素縁単弁蓮華文鐙瓦と均正唐草文宇瓦が出土した。それ以外に遺物、遺跡、文書が無いが、麓の江岩寺の『江岩寺縁起』(作者・年代不詳)と『大山寺縁起』(寛文八年)に大山寺とある。

参考
『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)
小牧市史編集委員会『小牧市史 本文編』(小牧市、昭和五十二年)81頁

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