延文四年(1359)に卜部兼前によって書かれた『美濃国第三宮因幡社本縁起』には同じく金華山のある陸奥との繋がりがある記述がある。
垂仁天皇の子に五十瓊敷入彦命(兄)と大足彦尊(弟、のちの景行天皇)がいたが、父はこの二人に「何を望むか」と問うた。兄は「弓矢が欲しい」といい、弟は「皇位が欲しい」といった。兄は後、因幡守に任命されたが、皇位発揚のため必要な陸奥の金石を求めるための日本武尊(景行天皇の第二子)の陸奥遠征が失敗すると、景行天皇(弟)は五十瓊敷命(兄)にその獲得を命じた。彼は亡母日葉酢媛命の夢告によって金石を発見し、都への運搬を開始する。しかし、彼は讒言により朝敵の汚名をきせられ、都の討手と対峙する。陸奥の金石は一夜のうちに三六丈の山となり、五十瓊敷命は嫡子らとその山に入り亡くなった。ところがある夜、天皇は夢中に五十瓊敷命の無実の訴えを聞き、彼が因幡大菩薩に化して金山に住し、四方の群生を済度していることを知る。天皇は大いに驚き、武内宿繭を勅使として派遣し、厚見県を御敷地とし、金山の麓に社壇を構え、因幡大菩薩と日葉酢媛の霊を当山の峯に祀った。また、用明天皇の時代には、百済僧難行法師が下向し一千日の勤行を行った。後、壬申の乱においてこの神は、武略の神として南宮法性大菩薩(不破南宮大社)を助けたため、天武天皇はこれに謝し厚見郡をこの社の御神領とした。(『岐阜市史』)
伊奈波神社の主神は五十瓊敷入彦命で、他の主神の妃、母、外祖父の三柱を祀り、主神の功臣として物部十千根命を合祀している。『垂仁記』は、五十瓊敷入彦命が剣一千口を作り石上神社に納め、同神社の司になったこと、また彼が老いた後、この職を物部十千根命が継いだと記している。尾関章『濃尾古代史の謎』は、イナバの社名は、ニギハヤヒ(物部の祖)が天下った時の天磐舟の乗組員、天部赤星を祖とする為奈部に由来すると推測している。
参考
岐阜市史
『濃飛古代史の謎 水と犬と鉄』(尾関章、1988年) 187-189頁