永禄元年(1558)の浮野合戦で焼き討ちにあり廃寺となった。

天正十二年(1584)にはじまった小牧・長久手合戦の初めの頃に観音寺を秀吉軍が攻めた。観音寺跡に織田信雄方が砦を置いていたのだろう。観音寺側も応戦するも、敗北し多数の死者が出た。秀吉方は、中奈良の一ツ目に穴を掘り、戦死者を埋めた。すると雨の夜などにこの穴から戦死者の亡霊が現れ、人々を恐れさせたが不思議なことにみな一ツ目であったことから、「一ツ目」の地名がついたという。

参考:
『江南市史近世村絵図編解説書』
江南市教育委員会・江南市史編さん委員会『江南市史 本文編』(愛知県江南市、平成13年)202、203頁

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