平安後期以降、総社は国府近くに祀られるようになった。主要神社の神霊を一カ所に集めて祀るもので、国司の祭礼のために設けられた。

美濃国では、南宮大社の御旅所にあたる御旅神社がその総社に位置づけられ、美濃国府の国庁正殿跡に祀られている。

国府は、儀式・政務の国庁(政庁)を中心に、曹司(ぞうし-諸官庁)、館(たち-国司の居館)、厨(くりや-官吏の給食所)、正倉、工房、駅家などから構成され、築地や柵、溝などで囲まれていた。駅路や伝路などの結節点に位置し、市が立つなど経済の中心地でもあった。

発掘調査では道路に沿って官衙群が建ち並ぶ景観だったようだ。大滝川の氾濫で政庁の西脇殿南半や南門が失われている。国庁の当初建物は八世紀前葉の掘立柱建物で、八世紀中頃に同一位置、規模で建て替えられた。天平一七年(745)の天平地震で倒壊し建て替えられたと推測されている。さらに九世紀初頭に瓦葺・敷石建物に建て替えられ、十世紀中葉に国庁が廃絶するまで使用された。不破関と同じ瓦が出土しているため、同時期の造営もしくは不破関廃絶後に持ち込まれたと推定されている。南北約73m、東西約67.2mにわたって国庁が復元されている。

国庁跡の周囲では曹司や正倉、工房等にかかる遺物・遺構が出土し、国庁東の溝で囲まれた区間では「政所」と墨書された土器が、国庁北では「厨」と墨書された土器を伴う掘立式建物が発掘されている。また工房とみられる鍛冶遺構、正倉と推定されている掘立式建物跡などが検出されている。

参考:『大垣市史 通史編 自然・原始~近世』(大垣市、平成二十五年)230-232頁

不破郡垂井町府中
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