小倉山蓮臺(れんだい)寺。小倉村にある。時宗で、洛陽四條道場・金蓮寺の末寺。開山が覺阿上人として、正和三年甲寅(1314)、一色道秀が創建した。紹巴が『富士見道記』に、小倉道場にて「身に入るや夕汐風の朝涼み」とあるのは、この寺で詠まれた発句である。昔は寺領が多く、塔頭が十七坊もあった。その頃、佐治駿河守が当郡を領していたので、寺領の寄附もあったが、佐治氏が衰えた後は没収された。また織田有樂がこの郡を領した時も、寺領を寄附されたが、秀吉公がまたこれを没収した。その頃より寺院は大いに荒廃して、わづかに一坊を残すのみとなった。慶長五年(1600)、九鬼氏が当郡を侵掠した際、兵火にかかり、記録・物等まで悉く焼失した。

壽山塚

じゅさんづかという。当寺の門前にある。佐治駿河守の墓で、法名を齊年壽山といったことから、この名で呼ばれるという。

およそ佐治氏は古くより当郡を領し、同氏の一族を丹波や近江の甲賀郡から招いて広く領知し繁昌した。遠江守は、近江で六万石ほどを領したという。その子・駿河守は勇威であったが、当郡に来て、大野及び宮山に住んだ。これが即ち斎年壽山である。その子・上野介爲貞、さらにその子八郎信方は、信長公の妹婿で、天正の長島合戦で討死した。信方の妹は当国内海の城主、佐治備中守爲縄の妻である。

天文十三年(1544)、宗牧が『東國紀行』に、知多郡大野に登城し、翌日濱伝いに常滑に至った條(くだり)に、大野衆、今は是迄などいひて、「出でし都に似たる名残かなむかしの友の今の別は」と見える。この大野衆は、佐治氏の人々のことである。

本尊 阿彌陀の立像。左右觀音・勢至。

参考:『尾張名所圖會 前編 巻六』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)

常滑市小倉町5丁目66番地
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