宝亀山相応寺。長城筋の東のはてにあったが後に当地に移った。浄土宗、京都智恩院の末寺。源敬公の御母公相應院殿の追善供養のために寛永二十年(1643)七月に建立され、本蓮社眼譽上人が開山した。源敬公は尾張藩初代藩主の徳川義直。

  • 本尊:阿彌陀の木像。
  • 鐘樓:鐘の銘は羅山先生の作、文は源敬公の御筆である。銘は『羅山文集』に譲りここでは省く。
霊宝

相應院殿御絵像讃:源敬公御直筆。


菅家苗裔 穗日后孫 有慈有孝 愼行愼言 貞潔而直
柔順且温 崇寂滅教 歸釋氏門 信心堅確 了生死源
爰寫遺像 招他幽魂 定省如在 于晨于昏 以敬不怠
何忘洪恩

(:菅原家(菅原道真の一族)の末裔で、天穂日命(あめのほひのみこと)の子孫。 慈悲で孝行あり、行いを愼み言葉も愼む。潔白で真っ直ぐ、柔順で温和、寂滅の教えを崇拝し、お釈迦様の門に帰依する。信心は堅く確かで、生死の源を悟る。ここに遺像を写し、あの世の幽魂を招く。あの方が在るかのようにする、朝において暮れにおいて。 敬い供養を怠らない。どうしてその洪恩を忘れることがあろうか。


寶龜山の額、及び佛殿相應寺の額、ともに源敬公御真跡で、裏書に、『寛永二十年(1643)九月十六日、従二位源朝臣義直書焉(写)』と書かれている。そのほか岩佐又兵衞(俗に浮世又平)が描いた人物花見の屏風等、御寄附の品たいへん多い。

  • 塔頭:玉相院・東月院。

参考
『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)

名古屋市千種区城山町1丁目47番地
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