福徳村にあり。天台宗、野田密蔵院の末寺。普門山と号す。隣村成願寺は安食重頼、法名常觀の菩提寺で安食庄内の本寺として、この寺及び中切村の乘圓寺等、みな常觀寺の支院であったが、今は本末退転し、かえって成願寺が当寺の末寺となったと『鹽尻』にある。当寺はもとは圓光寺吉祥院といったのを、聖徳太子の自作の像を本尊としたため、近世に今の寺号に改めた。当寺に葦敷二郎・重頼夫婦の木像がある。婦の像は往年の洪水で流失してしまった。現在、甚目寺の「おそそさま」と称する像がこれであるという。さて重賴の像、また成願寺にある山田二郞重忠の像、ともに古い像で雅趣があるというが、剃髪し法衣を着ているので、武将の姿とは見えず、全く羅漢の像を誤り伝えたものではないかと先輩も言っている。また什寶(寺宝)に葦敷系圖がある。
『鹽尻』
葦敷二郎というものは四人見える。浦野四郎重遠の二男重頼、その子重高、その子重行、および山田筑後前司重定の弟の八島左衞門尉時成三男重茂など、いずれも「葦敷二郎」と称したという。この古像は誰だろうか?重頼は嫡家の列祖で、山田先生重直の弟であったが、出家した事が古記にあるので、重頼入道の像である事は疑いないか。嗚呼、夢後のかたみにのこる影さえ、時世を隔てればいずれかと定かならないことも哀しいことである。
あだにのみ花の白雪ふり殘るあとだにつらき里のはる風 信景
参考:『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)