※詳細な場所は不明、今はなき堀江町の西側に置く。
堀江町の西側にある。元和年中(1615-1624)船入町の大橋助九郎という者の家に、弟分として同居していた長左衞門という者がいた。諸国の米穀の豊凶を量って米を買取り、大橋の土蔵を借り受け、いささか米の出し入れをしたところ、思いのほか利潤を得たので、或いは買い、或いは売りなどすると、いつにても利を倍増させていた。
諸人もこれを倣って、僅かな元手から莫大の米をも売買するようになり、終に公に願って会所を設け、幕末頃には日増に繁昌するようになった。
参考
『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)