萬葉集の頃、不破関は美濃関ともいい、東海道の伊勢鈴鹿関、北陸道の越前愛発関とともに三関の一つで、東山道の要衝であった。
『萬葉集巻二十』(755-759か)には殷賑をきわめた不破関を越える歌が収められている。
足柄の み坂給はり 顧みず 我は越え行く 荒し男も 立しやはばかる 不破の関越えて我は行く 馬の爪 筑紫の崎に 留まり居て 我は斉わむ 諸は 幸くと申す 帰り来までに
しかし、やがて関は荒廃していく。『新古今和歌集』(1205)藤原良経より
人住まぬ 不破の関の板びさし 荒れにし後は ただ秋の風
『壬申紀』に鈴鹿関は「関」「関司」とある一方、不破の関は「不破道を塞げ」とあるのみで、壬申の乱時点では律令制下の関は存在しなかったと考えられる。乱を契機に、天武朝で不破郡が成立し浄御原令を経て大宝律令で完成したとみられる。
壬申の乱の経過:
伊勢・美濃・越前の三関は、各国の国府の京側に置かれていたため、外敵防衛の観点からは不自然だった。一方で外敵を防ぐためであれは、三関は近江や伊賀が担当すべきであった。しかし実際には、三関は京に叛乱が起こった際に逆謀者が東国へ逃入するのを阻止し、東国を拠点とする反撃や東国勢力の動員を未然に抑える役割を担っていたのである。
「固関使」が派遣された事例
延暦八年(789)の勅により三関は停止され、非常時の備えが不要となり、通行の障害となったため交通施設としての役割は終わった。以後は儀礼的固関のみが続いた。
後白河上皇は保元の乱の翌々年に院政を開始し、源義朝と平清盛が武士の棟梁をめぐって対立した。
義朝は清盛の熊野参詣中に挙兵するが、多田源氏頼政の寝返るなどして大敗した。平治の乱(1159)では多くの美濃源氏が平氏方に付き、不破の関は光友・光基らによって固められていた。『平治物語』には「鈴鹿・不破の関、平氏に志ある軍勢等、固たりと聞えけれども…夜に紛て伊吹の嵩、西の麓にぞ付にけり」とある。
義朝一行は東山道を避けて伊吹山麓へ迂回し、青墓長者・大炊氏の館を経て尾張内海庄の鎌田家に潜伏したが、義朝は鎌田家の舅男・長田庄司平忠致の裏切りにより暗殺された。頼朝は厳冬期の不破越えで一行とはぐれて捕えられ、伊豆に流された。近江源氏も勢力を失い、佐々木秀義は相模の渋谷重国の館に身を潜め、定綱・盛綱は源頼朝に出仕して再起を期す事となった。
貞應元年(1225)十二月、石清水八幡宮寺は大山崎神人の交易の雑物、不破関の往来に、その関料の免除を請い許された。按ずるに、『皇嘉門院御領目録』中の美濃国衙の内に「関所」があり、これは不破関の関料を目的とする収入であったのだろう。『離宮八幡宮文書』に、以下の庁宣を載せている。
花押(○美濃守藤原基保なるべし)
下 留守所
可早勘過八幡宮寺大山崎神人等爲交易油已下雜物往反不破關事
右依爲宮寺之訴可被免除也、早可勘過之狀、所仰如件、以下
貞應元年十二月
六波羅探題より以下を下知している。
八幡宮寺大山崎神人等申、不破關々料事、任廳宣可令免除之状、下知如件
貞應元年十二月十七日
武藏守 平(花押)○泰時
相模守 平(花押)○時房
おそらく、この時代では、臨時に朝廷から固関使を派遣して国司に命じて開閉させ、国司の管理の下に在ったのだろう。公領の租税収入が減少するようになり、ここを税関として、貨物に通過税を課していたと考えられる。
ひま多き ふはの關屋のこの程の 時雨も月も いかにもるらん
『十六夜日記』(建治三年-1277-、阿佛尼の旅行)
板庇 まばらになれは山風の 不破の關もる 月そさやけき
『あづまの道の記』(天文二年-1533-仁和寺尊海僧正旅行)不破の關やのあれけるをみて
天文二十年(1551)の『成菩提院古記録』(坂田郡志所引)に、「毎年正月十一日に、[中略] 不破關へ參百文」とある。その頃、鎌倉街道(京-鎌倉)には長橋・玉の関などでも関があり、通過料が課せられていた。やがて、織田信長の征服によって撤廃された。
遺構は昭和49年から同52年にわたる発掘調査により、外郭線に相当する土塁が北・東・南の三方を囲み、関域は約12平方m以上に及ぶことが明らかになった。内郭から出土する軒瓦には、平城宮所用瓦、美濃国分寺所用瓦が使用され、八世紀中葉を過ぎた頃と推定される。出土する軒丸瓦のうち、七世紀末から八世紀初めにかけて造られる複弁蓮華文軒丸瓦が存在し、八世紀中葉の関の整備に先立って、関の機能をもつ瓦葺き建物群が存在していた。現在は県指定史跡となっている。
参考
関ヶ原町『関ヶ原町史 通史編別巻』(関ヶ原町、平成5年)8頁
伊吹町史編さん委員会『伊吹町史 通史編 上』(伊吹町、平成九年)167、168頁
「元明太上天皇の崩御」『日本古代政治史研究』所収(岸俊男)
『新修 垂井町史 通史編』(垂井町、平成八年)140-144頁
『濃飛兩国通史 上巻』(岐阜縣教育會、大正十二年-1923)425、426、736頁