古来、浄蓮寺山または浄蓮寺跡と称し、霊地として里民の信仰的観念も深い。
往古此地に式内額田神社の別当寺として浄蓮寺が建立されたが、中世兵火のため焼失し、寺宝を井戸に投入して焼滅を防いだという。現在井戸は存在しないが、毎年旧正月一日に井戸の鶏が暁を告げて鳴くと伝えている。
金堂跡と称する土壇中を耕作中、陶製の千体仏と銅製の毘沙門天小像を発掘した。千体仏は浄蓮寺建立の際に本尊後方の壁中に納めたものの一つと推定されている。毘沙門天は高さ4cmほどで、焼摩して黒色になり原形を損なっている。この二体の仏像は奈良朝前期の遺品で、本寺創立当時のものである。
なお、当社付近には布目瓦の破片、墓塔又は小石仏が発掘され、当社付近一帯の丘陵地からは弥生式土器、後期祝部土器など発掘され、額田氏一族の遺跡とも推測される。(在良村調査書・鈴木敏雄『在良村考古誌考』)
参考:近藤杢、平岡潤『桑名市史 本編』(桑名市教育委員会、昭和34年発行・昭和62年三版)61、62頁