昭和十一年に岐阜セメント工場が創立されたが、昭和十四年満州軽金属工業株式会社に買収され、満州国安東市に移設。助六石灰株式会社が石灰の製造販売を継いだが、昭和二五年採掘部門を除き磐城セメント株式会社に合併、採掘部門は昭和二六年四月磐倉鉱業株式会社を創設し同年八月常盤鉱業株式会社と合併、二八年に磐城セメント株式会社岐阜石灰工場が常盤鉱業株式会社に移管された。三一年に社名を磐城化工株式会社と改称した。

昭和三三年(1958)より、川崎重工業が川崎セメント(株)を設立し、川崎重工業と提携関係にあった磐城セメントが協力して、根尾川右岸の鉱山・更地山の対岸、山口地区に工場が建設された。当時で日本最大のセメント工場だった。当初の建設目的から運営を磐城セメントが行うこととなり工場完成と同時に昭和三五年(1960)に川崎セメントは磐城セメントに吸収合併された。さらに昭和三八年(1963)に磐城セメントが住友グループに加入し、住友セメントと社名変更したのに伴って住友セメント岐阜工場となった。

原料の石灰石は根尾川対岸から延長1kmのベルトコンベアーで、また粘土は山口地区から800mのベルトコンベアーで、それぞれ工場まで運搬される。製品の輸送は昭和三一年に大垣・谷汲口間が開通していた国鉄樽見線から引込線を敷設し、鉄道によって行った。

藪川及び揖斐川から良質の砂利が得られることから、セメントが原料のブロック類その他のコンクリート製品及び生コン製造会社の多くの工場が進出している。

参考
『木曽三川流域史』(建設省中部地方建設局、平成4年)965、966頁
『大野町史・通史編』(岐阜県揖斐郡大野町、昭和六〇年)862頁

本巣市
種別