※正確な場所は不明
馬場村の山中にあり。そのそばに姥撻(うばうち)谷という所があるが、今ではその石を、姥はり石と呼びならわしている。
里人の説によれば、義朝が長田忠致によって殺された時、忠致は金王丸が近侍すれば大望の妨げになるだろうと、魚獵を口実に、海辺に誘い出した。そして金王丸は、何の疑いもなく浜辺にきたが、程なく長田宅の騒動を聞きつけ、とって返す途中で老婆に行き合い、事実を問うてみると、 既に討たれたと答えた。金王丸は憤怒に堪えず、拳でその老婆を打ち、老婆はたちまち石に化した。その際に金王丸の踏みつけた石を、足跡石というが、少し窪んでいるが、足の形ではない。
この説は大御堂寺の絵伝にも古記にも見えないが、地元民の口碑をそのままに記すのみである。これは上野の松井田のあたりにある、「ゆり若大臣の足跡石」の説と同じく、俚語めいているが、来由が古いのでそのまま記す。
参考:『尾張名所圖會 前編 巻六』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)