富永山養念寺。飯田町南側にあり。東本願寺直末の院家。慶長二年(1597)僧賢誓の建立。賢誓は伊勢國員弁郡長深の城主富永筑後守五代の孫、富永六左衞門の嫡男久太郎である。その為、富永山と称す。筑後守から続く道統の系譜は今も残っている。

  • 本尊:阿彌陀仏。安阿彌の作。
  • 寺宝:親鸞聖人影像。蓮如上人の直筆で、裏書に『弟子空善へ興ふ』とあり『蓮如上人一代記聞書』『山科連署記』にも見える。また圓光大師・親鸞聖人・蓮如上人・實如上人等の直筆の軸物数多あり。また数如上人より伝わる水晶数珠等、そのほか数品あるが、様々あるので略す。また近衞殿下御由緒があることから、殿下より御紋附の紫幕等の寄附があったが、一派の内当寺に限るという。また國君(藩主)御直筆の書画、及び葵御紋附の什器がたいへん多い。
島が池

後園にあり、庭園も行って愛賞して欲しい。この池は、往古は大地で、今の平岩某・貞祖院等の庭中にある島の清水と同じ水脈であるが、いつしか往来が途絶え、知る人さえ少くなった。池の面に紅の蓮が多くあり、六・七月の間は毎朝花が咲き、清浄の奇観は言葉にならない。庭園の間に鎭守飯綱明神の祠がある。当寺の前住威の廣院霊曜は、博学碩徳で本山の学寮の擬講師だったことから、遷化の後(没後)、諸國の子弟は師恩を追慕し、当寺境内に石碑を建てた。文は清岡長材卿、書は五辻豐仲卿である。


養念寺後園烏池觀蓮賦古調一章。  精一
精一池以鳥爲號。豈謂水色玄。而六七月際。清漣出紅蓮。凉晨花召我。來棹瓜皮船。

(:養念寺の後園の烏池の蓮を観て、古調一章を賦す。  精一
池の名を鳥(からす)といっても、水の色が暗いといえるだろうか。しかし六、七月の際には水面から紅い蓮が出る。凉しい朝に、花が我を召、瓜皮の船の竿をさし漕ぎ出す。

参考
『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)

名古屋市東区泉3丁目3番13号
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