市邊村にあり、この村は昔は破塚(こぼしづか)といった。東塚・西塚の二基あり、約18m隔てている。市邊皇子の墓は神崎郡妙法寺村や日野の奧音羽村にも比定されていたが、明治八年(1875)八月七日教部省よりこの地に確定され、塚の兆域を定めた。

参考:『近江名跡案内図』(静里北川舜治、明治二十四年-1891)440、441頁

東近江市市辺町962番地1
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