鷹撃(たかちが)谷城。
藤井常俊が大井に住み、その子宗常・常守兄弟は岩村遠山景直・景任に仕え、田三十町を領知していた。当初は大井城を守り、のちに鷹撃城を築いて兄弟で守った。
武田氏・織田氏の招きがあったが宗常は病を理由に仕えず、永禄十一年(1568)四月二四日死亡した(『藤井系図』)。なお岩村城遠山景直に仕え田・畠三五町を領し、その後織田信長に属し永禄四年(1561)没したとの説もある(『長国寺入牌祠堂帳』)。
その後常守が守り、苗木城主遠山景頼(系図、祠堂帳では遠山久兵衛景定)と弘湫で戦い、箭(矢)一七を射中されて立亡した。その後、鷹撃谷城は史料から消え、藤井宗常・常守兄弟一代で廃城となったと考えられる。
宗常の子常高は遠山景任に仕え、大井城の城代として近村を治め、永禄七年(1564)には武並神社を再興した。
参考:恵那市史編纂委員会『恵那市史 通史編 第一巻』(恵那市、昭和58年)872、873頁