※詳細な場所は不明なので、瀬戸市の本山修験宗の常福院におく。ここかは定かでない。
瀬戸村にあって、當山派の修験である。もともと府下(名古屋城下)小塚町に正學院という修験があったが、故あって当村に移り一宇を造立し、泰澄大師作の不動明王を本尊とする。元来霊仏で、院號の由来となった。
庚申青面金剛は、恵心僧都の作。また十一面観音を堂内に安置する。これは聖徳太子の作。はじめは隣村今村の城主松原下總守廣長の守本尊だったのを、当院に寄附した。宮殿に 『文明三年(1471)三月松原下總守廣長』と記す。城東札所の三十一番にあたる。
七月十七日夜、萬燈と唱え、青竹で数百間(一間約1.8m)の竿を組み、そこへなま土でつくった皿をならべ、火を灯す。その様子が天に映えて、白昼に変わらない。
さて当院主は寶暦年中(1751-1764)より起こり、当代(天保十五年-1844)まで三世を経たが、遠州秋葉山へ月参の難行を勤める。既に安政の今に至り、千余度の歩を運び、秋葉山の御前に月参の奉額があって世の人が広く知る所である。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻四』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)