浮野合戦の史跡。浮野合戦は、永禄年中(1558-1570)信長公と岩倉の城主織田信安との合戦で、遂に岩倉方は利あらず降参した。詳しくは岩倉城に記す。合わせて見るべし。
当地の北東にある加茂地内には、雑木林に囲まれた小高い塚があり、浮野合戦における岩倉城兵の首級を埋めた首塚であると伝えられる。幕末頃でも附近を掘ると武具の端が見つかったという。また「塚の草木を折ると腹を病む」という言い伝えがあった。
戦前まで大木が繁る小高い塚であったが、戦中の食糧増産のため、その大部分が耕作地にされた。
参考
『尾張名所圖會 後編 巻六』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)
岩倉市史編集委員会『岩倉町史 上巻』(岩倉市、昭和六〇年)