慶長19年申9月16日、尾張藩が大垣桑名に通ずる要地の堤上に、伊勢外宮より五穀の祖神として豊受姫大神を勧請し五穀豊穣の祈願所として神明神社が創建した。この地は往古より伊勢外宮領とされ年中御饌供料として三石の初穂を奉献し、御師松尾太夫、丹蔵太夫には二百石余の給分が定められていた。明治維新後も毎年正月外宮に神楽料が奉納され、けだし外宮の勧請による創建は全国唯一の神社であろう。伊勢神宮の20年毎の式年遷宮の都度、社殿古材の頒賜を受け社殿の修復をしている。
今尾字鯰池には地の産土神として天津神社が祀られていた。明治29年の大洪水で社殿社地流失し、神明神社へ合祀の上、今尾神社へ改称した。
その創立由緒から今尾城主、尾張藩主徳川家より御代参もあった。御祭礼の山車4輌、船車2輌、獅子車2輌等優美を誇るものであったが、今尾大火で焼失、度々の水害で古文書も散逸してしまった。
平田町役場『平田町史下巻 復刻版』(臨川書店、昭和62年)1015、1016頁