比良村にあり。現在、光通寺という曹洞の禅寺となった。
『佐々傳記』によると、佐々内蔵亮成政は、尾州春日井郡比良の城主である。織田信長公に仕えて戦功を立て、越中の守護に封ぜられ、富山に居城した。信長公が亡くなった後、信雄公(信長次男)に属し、秀吉公と戦い、名を日本中に表した。そのため、秀吉公は天下掌握の後、成政が信雄公に与したことを憎み、こじつけて滅ぼす事を謀った。天正十五年(1587)六月二日、薩州島津征伐の後、肥後南の関に御陣を居かせられ、有功の輩に所領を賜わるときに肥後国を佐々成政に賜わり、陸奥守と号せられる。これは成政を亡ぼすための謀りであると、後には思い合わせられる。加藤清正を権使として、天正十六年(1588)五月十四日、尼ヶ崎で成政に切腹される。五十三歳であった。法圓寺に葬る。成政寺庭月洞閑大居士をおくり名とした。
山本格庵の『參考尾張古城跡記』に、「佐々内藏助成政城跡。今此地禪刹有リ、長壽山光通寺ト號ズ」と見える。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)