昭和三二年(1957)に一個の複弁蓮華文軒丸瓦が発掘されたことを契機に調査され、塔跡と思われる遺構や多数の古瓦が出土し『黒岩廃寺』と名付けられた。現在は梅畑で標識などがない。

出土した軒丸瓦は「川原寺式」で七世紀前半(601-)に位置付けられる。川原寺は壬申の乱(672)前後に斉明天皇の川原宮跡(現奈良県高市郡明日香村川原)に完成した寺で、現在は弘福寺である。『塵袋』(作者不詳、鎌倉時代中期作)によれば、尾州葉栗郡に光明寺という寺があった。ハグリノ尼寺といわれ、飛鳥御原宇丁丑小乙中葉栗臣人麿が建立したという。丁丑小乙中は後の大宝律令の従八位上または下に該当する。当地の西2.5kmの光明寺とその付近で古瓦など古代寺院の遺物がないため、ここ黒岩廃寺である可能性が高いようだ。

参考:江南市教育委員会・江南市史編さん委員会『江南市史 本文編』(愛知県江南市、平成13年)

一宮市
種別