海国寺

加藤家の菩提寺

玉龍山海國寺。布曝女町にある。臨済宗、京都妙心寺の末寺。

天文年中(1532-1555)僧叔栄の草創である。叔栄は加藤図書助入道順盛の一族であるため、加藤家の菩提所となっている。叔栄の弟子仁峯は順盛の三男である。忠岳和尚・潔堂和尚なども住持を務めた。

潔堂は奧山佐渡守の弟で、その妹は佐久間玄蕃允に嫁ぎ、女子一人を産んだ。玄蕃允が賤ヶ岳の戦い(柴田勝家・織田信孝と秀吉の戦いで、玄蕃允は叔父勝家を補佐した)のあとに討ち死にした後、秀吉公の命により新庄法印に再嫁し、右近美濃守等を産んだ。彼女が産んだ玄蕃允の娘も、秀吉公の仰せにより中川修理太夫秀盛に嫁ぎ、内膳正久盛の母となった。

秀盛の父・中川瀬兵衞は、先年の近江の志津が嶽(賤ヶ岳)の砦を守っていたところ、佐久間玄蕃允に攻め落とされ、その怨みを消し去るために、秀吉公がこのように計らいなさったという。 先年、新庄美濃守が上使として名古屋にやって来た時、帰路にこの寺に参詣されたのも、この縁があるためであると『厚覽草』に見える。

  • 本尊 釋迦の木像。享和年中(1801-1804)焼失の後に再建されていない。

参考
『尾張名所圖會 前編 巻四』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)