北方村にある。一向宗東派、京都本山直末の内陣の一家である。山号は龍登山。もとは真言宗で、文和元年(1352、壬辰)、順正という僧が開基したが、文安三年(1446)石川左近大夫親康の三男近江介、出家し休安というが、蓮如上人に帰依したので、その時授与された蓮如上人真筆の名號、今なお寺に伝わる。又古五輔一基あり。これは親康の五輪といい伝わる。休安から三代、真言・念仏を兼学したが、慶長年中(1596-1615)宗圓といったが、今の宗に改めた。

また近頃、弘化三年(1846)六月境内へ雷落ちて、本堂へかけ入りしが、終に登天せずして消滅す。その節の煙烟じゃ、内陣の金張付に写って、自然と雲龍の形をなしたが、筆で描いても凡筆の及ぶ所にない。これを雷画と名付く。実に一奇というべきである。

参考:『尾張名所圖會 後編 巻五』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)

一宮市北方町北方宝行寺廻り82番地1
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