「明治天皇東阿野御小休所」という石碑がマンションの駐車場にある。

三田家は代々当地東阿野村に住む。仙壽散は黄胖(おうはん)病の奇薬にして、遠近から求める客が絶えなかった。黄胖病は東洋医学の病名で、皮膚が黄色ぽくなり、顔や足首がむくむ症状で一種の貧血状態である。この薬を困窮する民が乞い求めた際は、財を惜しまず一銭も受けず施したという。慶長の頃(1596-1615)より当地に宅家を構え、代々「無忍」と称して大きな屋敷を構えた。

西国の諸侯が上下する際は、多くが此の家で休憩し。國君も立寄り、拝謁を許したという。延享・寶暦(延享:1744〜1748、宝暦:1751〜1764)の朝鮮通信使の往来にも、この家に入り休息したという。とくに延享五年(1754)三使が帰路に此家に立ち寄った際は、六月二十三日だったが暑気が甚しく、 各々水を乞いたが、主人が葛水を与えたところ、いづれも大いに喜び、炎熱を忘れたという。主人の厚意に報いるため、席上で詩書画等を贈った。居甘齋の詩文、西巖の墨畫がもっとも多く、今も尚家宝としている。詩文などもは多いのでここでは略す。

参考:『尾張名所圖會 前編 巻六』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)

豊明市
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