笠松渡船場跡石畳に置く。
岐阜街道の一部。葉栗郡里小牧村より美濃の笠松に至る木曽川の舟渡しであり、「笠松の渡」と称する。川幅は広く、水の勢いは激しい。 加納・岐阜所々へ行く大道である。
慶長五年(1600)、池田照政(輝政)による関ケ原の戦いの前哨戦、すなわち岐阜城攻めの際、里小牧村の船頭が木曽川渡船で便宜を図ったという由緒が伝わる。
元禄三年(1690)の『渡船由緒』によれば、里小牧村船頭給として二八石五斗が葉栗郡北方村の内で、慶長一三年(1608)伊奈忠次・彦坂九兵衛光正より与えられ、渡船二艘、船頭一四人に対する幕府からの給付であり、寺西藤左衛門・原田右衛門の証文があることも記されている。幕府から尾張藩による給付の移行がうかがえる。
この尾張藩による渡船支配は、木曽川の支配権掌握と関連している。初代藩主徳川義直は、慶長一七年(1613)に美濃国の円城寺村や鵜沼村など運材・舟運の要地を徳川家康から与えられた。さらに元和元年(1615)には木曽山の美濃側沿岸の村々も領地とした。
参考
『尾張名所圖會 後編 巻五』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)
愛知県史編さん委員会『愛知県史 通史編4 近世1』(愛知県、平成30年)412頁