生田山林證寺。徳重村にあり、一向宗東派の陣一家(高い家格をもつ寺院)である。
当寺はもとは天台宗で、丹羽郡大山寺村にあった。嘉禎二年(1236)、親鸞聖人が関東化導(布教)の際、当時の住持が聖人に帰依し一向宗に改宗し、名を宗玄と賜わった。
その後、武田家の医師の生田主水という者が、川中島大合戦ののちに世を捨てて出家し「光昌」と名乗り、諸国を偏歴した末、当寺に来て住職となった。
慶長年中の家康の会津御征伐の際(1600)に、御陣見舞として教如上人が下向し、道々大軍に犯され悩まれていた。光昌が従っていたが、とある林の中で 妙薬を奉じて上人を介抱すると、たちまち快癒し、深く喜悦したあまり、名を林昌坊と賜う。
その後、寛文二年(1662)今の所に移ったという。
本尊阿彌陀如来の裏書に『文龜元年(1501)三月二十五日尾州丹羽郡生田道場』と見える。霊宝数品あるが略す。
参考
『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)