※正確な場所は不明
大和村極樂寺字村中にある。天台宗横蔵寺の末寺。元極樂寺蔵の法華玄儀釋籤に「文永三年(1266)六月二十八日於極樂寺一點了明賢」の奥書があることから、この頃にはあったことがわかる。
永徳二年(1382)、極樂寺の榮圓は横蔵寺の虫供養頭取を務め、明徳二年(1391)横蔵寺七十一世の叡賢が極樂寺の住職を兼帯した。
天文十四年(1545)7月15日、極樂寺権大僧都圓憲が寂したことが圓興寺過去帳に見える。極樂寺は天文十六年(1547)、斎藤道三が揖斐城を攻め落とす際に兵火に罹り、廃頽した。慶長年間(1596–1615)に宗右衛門の宅を建てようと地面を掘ったところ、古鐘を発掘した。鐘の銘には「濃州大野郡揖斐庄極樂寺(明徳)二年(1391)辛未十月廿七日 願人孝貞賢 大工家次吉清」とあり、この鐘は一時揖斐町の長源寺に移ったが、改鋳された。
参考:『揖斐郡志』(揖斐郡敎育會、大正十三年-1924)808頁