有松村で作られ、数町にわたり高棟の軒が並び、店前には絹布のしぼりが飾られ華美というばかりしかない。『東行話説』に「田舎に京はありまつの、うつくしき木綿屋』と記され、その他諸家の文章にも、賞賛の言葉が絶えない。実に東海道五十三次第一の名産というべきである。
絞染を始めた家を竹田庄九郎といい、今なおある。慶長年中(1596〜1615)に、同郡英比庄より移り住み店を構えたが、そこから明治初年頃には数十軒になった。また此家は上下大小の諸侯方をはじめ、蘭人・琉球人までも立寄り、紋絞を求めて賞玩したという。
一般に絞染というのは、古のくくり染で、大和國龍田法隆寺に伝わりった孝謙天皇の御褥を、纈纈染といった。また加茂真淵の『初學』では、業平朝臣の『からくれなゐに水くくるとは」の注に、
『紅葉のむらむら流るるかたにて、白波もひまま立ちまじりつつ見ゆらんを、紅のゆはたと見なして、いと珍しければ、行く水を纈纈にすることよ、神代よりかかることはまだ聞かざりけるといふなり。是は或家の古き説に、此くくるは泳にはあらで、絞也とあるによれり。凡そ纈纈は令・式などにも見えて、絹を糸もて所々くくりて、紅・紫・緑などに染むるなり。今いふしぼり染に同じ』
と云々。
参考:『尾張名所圖會 前編 巻六』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)