大正十二年起工の木曽川大改修工事は昭和元年より最盛期に入り新河道形成のため、旧三斗山島は昭和四年全島が河床となってしまった。旧三斗山島はこの地点を東端とし、ここから下流約600mの間にあった。30世帯196人の住民は、現在の松原町の神明東・甚七屋敷、藤八野、出来野に移った。

これらのことを永く後世へ伝えようと、昭和五五年に旧島のほぼ東端の地に「三斗山島の跡」という記念碑が建てられた。

参考
記念碑の碑文
『ふるさと川島の 主な史跡と遺跡 町の保護樹 民俗資料 今に残る伝統行事』(岐阜県羽島郡川島町、昭和58年)12頁

各務原市