寺伝によれば白雉二年(651)に建立した。三修が開基し、昔五十坊あったと伝えるが、惣持坊のみ現存する。

長尾寺は遺跡は姉川左岸の大久保集落の山手に存在する。坊跡と推定される削平地は尾根の中央、東西約330m、南北約300mの範囲に約67ヵ所ある。地元で「ほんどう」と呼ぶ地点を頂点として、下方に扇状に広がっている。「ほんどう」という坊跡には、現在旧毘沙門堂と権現堂がある。標高約318mで集落からの比高約91mで、南北最大幅約27m、東西最大幅約49mある。現在長尾寺の法灯を唯一伝える惣持寺や若宮八幡神社等がある区間も坊舎が存在していたと思われる。遺跡と集落とを画する断層の南端が大門跡と伝えられる。室町時代の「長尾護国寺」の扁額が伝来する。さらに、標高約365~380の地点に「カネツキ」といわれ、鐘楼跡と推測される場所がある。また周辺には、南墓地、「ウシロ谷」墓地といわれる墓地があり、一石五輪塔を中心に、石仏、宝篋印塔などが残っており、現在有志の方々の手によって整備されている。

長尾寺毘沙門堂には二躯の毘沙門天像が安置されている。一躰は本尊として厨子内に、もう一躰は御前立として厨子前に置かれている。本尊像は像高約180cmの立像で、兜と甲を身につけ、左右の手は持物を支える形をしている。樟材製で、彩色されていた痕跡がある。像形は通例の毘沙門天像とは異なり、荒削りで地方的な作風を示す一方、動きを抑えた体貌には古様の様式が認められ、十一世紀後半の作とされる。御前立像は像高約171cmで、天部の通例の姿を示し、同じく樟材製で彩色されていたと見られ、十二世紀の作とされる。
参考:伊吹町史編さん委員会『伊吹町史 通史編 上』(伊吹町、平成九年)149-153頁

米原市大久保
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