西津汲、東津汲間に渡船があった。船頭が一人常置されていたことから、利用者が多かったとみられる。
日坂区有の『近世中興珍事記録』に
寛政十一年(1799)三月朔日、西津汲横渡ふねはせんの事。日坂下村伝次、日坂上村大畑ヶ利左衛門、西津汲村長之介、渡せんどは喜八、日坂上村善左衛門と申者志より岩江かけ上がり、命別状無御座候。都合四人即死
とあり、春の雪解出水時と思われる三月の渡船遭難が記されてある。
明治五年の『西津汲明細村鑑帳』に「渡船場御座候」「船人職壱人御座候」とあり、常設されていたようだ。
西津汲には近世に始まった土場があり、船が着いて薪や炭を河川で運んでいた。また、この土場では土場運上が課税されていた。西津汲村は金四両銀五匁。
参考:『久瀬村誌』(揖斐郡久瀬村、昭和48年)153、283、284頁