三塚城

安八郡。村の西に高畑がある。興福寺の西。

天文の頃より、種田信濃守が居城した。氏家卜全の旗下である。元亀二年(1571)信長の長島攻め(伊勢長島一向一揆)の時、太田において卜全と時を同じくして五月十三日戦死した。

信濃守討死の後、氏家内膳行廣がその領地ともにここを領し居城した。天正十一年(1583)桑名に移り、慶長五年(1600、関ケ原の戦い)、桑名を去ったのち、自害した。

参考
『美濃明細記』(伊東実臣、元文三年-1738)