慶応四年(1868)、入鹿池決壊による大洪水は蓮華寺集落にも広がり、1m前後の水に浸かったといわれる。人々は洪水を恐れ、北部の巾下地区への集団移転が真剣に論議されたが、ためらう者が多く実際には殆ど移住しなかった。
もともと当地は良好な農地で耕土も深かったが、悪水の排除が充分でなかったため生産量は少なく、むしろ地味に恵まれない北部の方が生産量が優れていたようである。
長年にわたる水利対策は、大正二年(1913)から始まった耕地整理によってようやく終止符がうたれた。終戦後までは静かな農村であったが、昭和三十五年(1960)頃から工場や住宅地として開発が進んでいった。
参考:小牧市史編集委員会『小牧市史 本文編』(小牧市、昭和五十二年)224頁