小折村にある。曹洞宗、当所久昌寺の末寺。山号は村上山。文明五年(1473)昌山法師が建立して、真言宗だったが、廃衰に及んだのを、永禄年中(1558-1570)生駒氏が再興して、久昌寺の末院とする。
境内薬師堂の本尊は、大和國生駒山の鬼取薬師の像を写して彫んだ霊像である。この薬師に「鬼取」の名があるからか、当寺の門前によな〳〵鬼神の類の怪物が出たので、生駒氏はこれを斬り伏せたが、怪物のかたちは見えなかった。翌日、そこを見ると、古い五輪の石塔を切り付けた跡があって、 刄物もまた欠けていた。これは関の兼吉の作であるが、「五輪丸」と名付けて生駒家の宝剣とした。
昭和十九年(1944)八月から名古屋市中川区の八熊国民学校(現名古屋市立八熊小学校)の学童疎開を受け入れた。受け入れ先は、古知野町(現江南市)で滝実業学校・永正寺・報光寺・泉徳寺の一校・三ヵ寺、布袋町(現江南市)で宝蔵院・久昌寺・道音寺・常観寺・般若寺の五ヵ寺。本部は布袋町宝蔵院に置かれた。
参考
『尾張名所圖會 後編 巻六』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)
江南市教育委員会・江南市史編さん委員会『江南市史 本文編』(愛知県江南市、平成13年)660、661頁