中小田井村にあり。天台宗、野田村密藏院の末寺。淳和天皇の天長六年(829)、疫病が流行り、多くの人が亡くなったので、澄純法師が越の国からこの地に来て、病者のために仁王護國般若経を誦(しょう)し、疫疾消除の法を修し、国中の病者は悉く平癒した。よって当寺を建立し、境内に白山権現を勧請した。やがて長年の兵火に頽廃したのを、祐秀法師が再興して復旧した。
本尊の薬師如来は慈覺大師の作仏である。寺宝の織田又六郎の画は、天正三乙亥年(1575)季秋、熱田海國寺の仁峯和尚の讚詞があり、たいへん古雅である。
君山翁の『賤の小手卷』によれば、中小田井村妙光山願王寺松壽院は、五代以前まで長興寺といい、願って寺號を改めた。「天正三年」(1575)銘の織田又六の像があるという。上下を着て半袴にて小刀をさし、扇を持ち安座する。上下に褶(ひだ)なし。上半分より上は柹(かき)、紋所一文字、下は淺黄、下袴は上は淺黄、下は柹と、古代の姿が殊勝に見えると記す。
『梅花無盡藏』
花下客ヲ留ム 小蓬莱淤臺長興寺東雲軒。辛丑上巳會織田和州凱歌之時也。 萬里居士
寺ハ清洲一里東ニ在リ。數株恙無シ舊時ノ紅。主人連日盃ヲ勸テ話ル。逢テ又花ヲ看ル敏定ノ功。東雲主人東安蔵主字季仙。織田和州其名乘敏定。
:寺は清洲一里東に在り。数株つつがなく旧時の紅。主人は連日盃を勧めて話す。逢って又花を見るは敏定の功。東雲主人東安蔵主字季仙。織田和州その名は乘敏定。
『張州志略』にこの詩を出して按じるに、長興禪寺東雲軒及び季仙安藏主の事跡は詳らかでない。しかし東雲軒は長興の塔頭の者。今の東雲寺はその跡か。辛丑の支幹、これを萬里在世の暦數に考えると、則ち蓋し文明十三年(1481)辛丑である。然らば則ち東雲開山禪師の在住の間であると記し、その所は定かでないという。しかし君山翁の説では、当寺である事は明らかである。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)