美濃国諸旧記より


安八太夫は、右の里々の長として、家富み栄え暮しける所、 或年天下大旱にして、数月雨降る事なく、干魃に及び、人民歎き苦しむ事甚し。安八太夫の一かり八町の田地も、悉く水渇して干潟となり、稲の作物皆々枯れて実る事なし。依って太夫も大に歎き悲しみ、諸所の宮神靈社に参籠し雨を祈ると雖も、夕立の空もなく、又天水の溜水だになかりき。

或日、太夫一僕を召連れて、田地を見廻りに出で、爰彼と順見をなし、稲の枯れたるを見、くよくよとして歩みける所に、とある一つの田地の中に、大なる蛇の一疋、つづらかきてありぬ。太夫之を見て、何と思ひけるにや、戯ともいふべけん、申して曰く

「いかに蛇、汝畜類なりとも、生あらば、我がいふ事、慥に聞け。我れ今大地の長として何不足なき身と雖も、数月の旱に依って田地旱魃し、米穀を得る事を失へり。汝今其田の内に臥し居るならば、我が領内の者なるべし。殊更汝蛇身なり。 然らば、我が頼みに応じて速に大雨をも降らしめ、数多の田地を助くべし。此事全くならしめなば、我れ又、汝が心に任せて、何なりとも望の旨を叶へて得さすべし。」

と語りけるとぞ。扨其夜に入りてけるも、太夫は終日の田廻りに身心労れけるにや、其夜は早く打臥して、前後も知らず寢入りたりける。然る所、大なる蛇躰一疋、太夫が枕元に忽然と顯れ出で、安次に向って申して曰、

「我は今冨田所に於て、貴殿の目に懸りし蛇なり。実は是れ大野・池田兩郡の境なる株瀬川の奥の、夜叉が池に住める蛇王の眷族なり。貴殿旱魃を患ひて、雨の事を乞ふ。我れいかにも蛇王に願ひて一夜の中に大雨を下して全く田作を助くべし。就いては申さるる旨に任せ望あり。必ず叶はしめ給ふや。」

といふ。太夫答へて

「雨さへ降らしめなば、其願、急度承引せり。」

と申しける。蛇体之を聞きて、

「さらば。」

というて喜びけるかとすれば、忽ち大雨頻に降り出しけるとぞ。其烈しき雨の音に目覚めて起上りて見けるに、怪しきかな、いかにも大雨降出して、盆を傾る如し。然れども蛇躰とては更に見えず。是れ南柯の一夢にしてありけるとぞ。さりながら不思額にも雨降りける儘、且は悦び、且は奇異の思をなし、 田作の様子を見るに、忽ち稲葉共、添くさへ返り、青々として、豊平の耕作となれり。太夫喜び、其日をこそは暮しける。扨其翌日に、太夫が家に、大なる山伏姿の者一人、おとなび来りて、太夫に対面を乞ふ。長者則ち之を請じて一間に通し、其故を問ひけるに、山伏申して曰く、

「我は夜叉が池の使の者なり。貴殿の乞ふに任せて、大雨を降らして耕作を助けたり。定めて満足たるべし。然る上は我が望、約束の如く叶はしめ給へ。」

といふ。大夫、実にもと答ふ。行者の曰く、

「然らば貴殿息女三人あり。其中何れの女子なりとも一人、我に給へかし。」

と望みける。太夫之を聞きて当惑し、我子何れか憎しといふ方なく、不便やるかなしと雖(いえど)も、一旦誓言を立てし事なれば、いかんとも否み難く、夫より末娘を呼出し、

「汝、家の為めなれば、父の為に行者の許に参るべし。」 といふ。然れども得心せず、様々歎きて、行く事を否めり。然らばとて、第二番目の女子に向ひ、

といふに、是又さめざめと泣き悲みて、否みたりぬ。太夫も甚だ当惑し此上は嫡女をして勧めなんと欲しける所に、其總領娘は、此時、一間の中にて、機を織りてありけるが、頓(ぬかずき)て機屋を下りて、父の前に出でて申して曰く、

「父上の願に応じ田作を助け、数万の人々渇命をも救ひ給はりし報恩の為め、殊更父の約束の事、子として之を見るに忍びんや。然れども妹両人、辞する事、力なし。此上は妾参るべし。」

とて、少しも否める色もなく、厳かけたりし白き布機を携へ、父母にも暇を告げて立出でける。山伏頓て先に立ちて出でけるに、前なる池のありけるに、彼の娘、姿を映し、櫛を取りて鬢の髪を撫で付けたりとぞ。今の鬢付池といふは是なり。父母も別れを惜み、暫く之を見送りけるに、頓て黒雲起り、又々大雨烈しく降り出しつつ、四方水煙叢立ちて、両人の面影も見えざるやうになりける。………………………………


扨又、右の安八太夫が家は、子孫長久にして数代の星霜を経たりといふ。尤昔の九分一が程もなき身代たりと雖(いえど)も、当代の安次村の郷士高橋傳右衛門と申すは、右太夫の末流とも申す事、何さま虚説にてもあるまじといふ。其故には、近代にても、其辺の里々にて、夏日の頃旱して水に渇し、耕作旱魃に及びける時は、百姓共集りて、彼の夜叉ヶ池に祈り、雨乞をかくるに、此時、安次の傳右衛門方へ頼みて手紙を貰ひぬ。百姓共則ち此手紙を持て、夜叉ヶ池に来り、土産として櫛・笄(こうがい)・紅・白粉の

類を相添へて、小さき板に載せて、手紙と共に、池の面に浮ましめ、扇󠄁(扇の旧字)を以て扇󠄁ぎ出しけるに、忽ち池の真中と思ふ所迄浮み行きて、其儘水中に巻入りける。果して時ならず天搔曇りて、

大雨降り出しける。其験ある事、末世の今と雖も全く不思議の事共なり。 其手紙の文体は、ただ雨を降らしめ給へかしとの事のみなり。


美濃諸旧記は大正四年国史叢書に改めて刊行されたが、その解題に、

作者は今知るべからずといへども、作時代は凡そ寛永の末年か、若しくは正保時代の作なるべしと推定せらるるなり

とあり、年次は不明であるが、夜叉が池の由来を詳記したものでは第一であろう。

揖斐郡大野町定松の薬師如来由来記(小川栄一写本)には

頼朝公の御姉君夜叉姫きみ、父の最後を聞取り久居瀬川へ身を投け給ふ。其怨靈国中に祟り人民を悩し上下の優限りなし。安八太夫是を鎮て久居瀬の源へ勧請ありて夜叉の池と唱へたり

とある。

参考
『神戸町史 上』(岐阜県安八郡神戸町、昭和四四年)86-88頁

南条郡南越前町
種別