妙光山誓願尼寺。幡屋町にあり、浄土宗西山派。
代々紫衣を勅許され、「熱田上人」と称す。当寺は享録二年(1529)の創建で、開山は日秀妙光尼である。
日秀は愛智郡小林村の住人である山田藤蔵の娘で、はじめ吉野右馬允に嫁いだが、右馬允が越前にて戦死したため、愛別の憂いに沈み、翌年十九歳にして信濃国善光寺に詣で剃髪して、善光と号した。こうしてこの寺を建立し、仏師を京より招いて阿弥陀の尊像を刻ませて安置し、元亀元年(1570)五月五日に上人の号を勅賜された。天正十九年(1591)に豊臣太閤の母・大政所がこの寺に参詣され、関白秀次公が寺の境内を増やして寄進された。
慶長(1596-1615)のはじめより三都を巡り、豊臣秀頼公の母公(淀殿)や江戸の御台所・崇源院君などに念仏を勧め申し上げたが、それぞれ寵遇に授かり、慶長六年(1601)二月十日に息を引き取った。往生の際、紫の雲が棚引き、絲竹(しちく:弦楽器(糸)と管楽器(竹))の音が聞こえ奇瑞の相を表した。その後、元和六年(1620)に東福門院御所(二代将軍徳川秀忠の娘で後水尾天皇の皇后の徳川和子)より源敬公(初代藩主徳川義直)へ仰せあり、寺領が寄附された。
参考
『尾張名所圖會 前編 巻四』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)