※詳細な場所は不明。
杉の町・御園町の東南側にある。臨済宗、京都妙心寺の末寺。山号は法雲山。
僧山堂が建立し、中島郡日下部村に在ったが、慶長年中(1596-1615)今の所に移した。
この寺は足利家本願の草創で、信長公の時には寺領の寄附があったので、山堂は信長公の五十年忌を弔うとして存命していたが、はたして寛永八年(1631)六月二日に遠忌修行したのち、行脚に出て行方しれずとなった。美濃中村愚溪寺の岩屋に籠ったと言い伝えられる。山堂は明應四年(1495)八月の誕生なので、寛永八年は百三十六歳の時である。ちなみに本能寺の変は天正十二年(1582)で、その五十年後は寛永八年の翌年か....。
参考
『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)