もとは入鹿という村で、北は今井の山、東は奧入鹿の山、南東は大山・内津の山、南西は本宮山、西は尾張富士で囲まれた村落であって、今井川(黒平川ともいう。谷々で落ち合う)小木川(美濃小木・根本で小さい谷々で落合う)奧入鹿川(内津・西尾谷で落合う)そのほか細かい流れが数多この村に向かって大河となり、銚子口(村の西の方、今の河内堤の場所)から鞍が淵を経て、羽黒川へ落ちる急流だった。しかし国祖君(初代藩主徳川義直)の思し召しで、寛永十年(1633、酉)二月かの銚子口を築き留めさせなさり、今のような大池となったのである。また堤は河内国から名のある傭夫を招き、尾張富士の麓の土を取って築いたという。則ちこの堤を河内堤という。

山鳥の をはりの國の 國人の ことあげすとふ さと人の かたりつぐとふ 梓弓 いるかの池は 眞廣らに みづうみなして 遠しろく 白浪たてり 尾張田の 小田の八千町 八百千町 水たりみちて 八千町の 干しね八千しね 八束穂の いかしたり穂に いやさかゆ さかばえゆくも 是のこの 池のあればぞ みれど〳〵 見あかぬいけの ときじくに みがほし池と 山鳥の尾張の國の あづさゆみ いるかの池と 名におふ此池
朝宵に 名のみきゝこし梓弓 いるかの池を けふみつるかも 川村秋輔

参考:『尾張名所圖會 後編 巻六』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)

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